鍛冶屋日記

年: 2014年

えーと、先週月曜日に43歳になりました。

43歳スタートの一週間は6日で77時間働きました。給料と労働時間を時給に換算したらものすごく安くてびっくりしました。今週もあまり変わりなく作って砥いで作って砥いで。

そんな状況なので、受験生である凜くんの家庭教師も全く行けてません。それでも模試の結果はずっと「合格間違いなし」です。
本人余裕です。
たとえA判定でもそこに添えるコメントは「合格間違いなし」じゃなくて「その調子で頑張りましょう・気を抜いたらやられるよ」くらいにしてくれんと全然勉強しゆう感じがないがやけど。

昨日久しぶりに会って訊いてみました。
「初詣行く?合格祈願。お兄ちゃんは行って合格したで。」
「あー、別に行かんでいいろ。」

余裕。かっこいいけどね。凜らしくて。

息子達にしばらく会ってない状況でクリスマスを迎えたので25日の朝、2人にメールしました。
「メリークリスマス」

凜は普通にお返事
「メリークリスマス( ´ ▽ ` )ノ」

涼太は
「いい子にしちょったのにサンタさんが来てなかった。MerryChristmas」

なかなかかわいい高校2年生です。

「サンタさん今年は忙しいらしい。まだ稼ぎゆうき配るのが遅れるってさ。」って返事しました。遅れても来たらいいのにね。

そんな感じの歳の暮れです。
年賀状はようやく現在印刷中です。
1月2日の同窓会でのスピーチも考え中です。

明日は年末特別日程のおかみさん市。
今年最後の売り出し。
ストーブ持参で頑張って来ます。

忙しくしています。ブログ書けないくらい。

仕事があるのはいいことなのだけれど、こんな日々が続くとヤバいなぁ、と思っております。
次から次へと注文が舞い込んできて追われる毎日。

本当に「こうやって品質が落ちていったりするがやなぁ。」を実感。「誰か作ってくれたら稼げるのになぁ。」って思ったり。

たくさん注文が入る→
・こなすために間に合わすために早さを求める
・職人雇って大量生産
・数作るために機械導入、大量生産
・売る方が稼げるために他所から仕入れて売るようになる

一鍛冶屋さんから発展していった問屋さんや刃物販売店や大きなメーカーとかってこんな感じやったに違いない。

けれど、そんな進化はおもしろくない。

幸いなことにどこかを簡略化したりスピード化を求めることはもう本当に苦手なので、作業の時間を増やすことしか出来てません。
あとは待ってもらってます。
ご注文いただいてるみなさま、お待たせしてしまってごめんなさい。

9時まで作業してるのが普通になってきた。
日が暮れてキンキンに寒くなっても出来る作業をあえて残したり構えたり。
日付けがかわるまで荷作り梱包していたり。
10時にお店前を通った地元の同級生(バニーアイズの四番バッター)が「まだ働きゆうかえー」ってコーヒー差し入れてくれたり。

「けど、そんな無理してる自分好きでしょ。」by 一回り年下のクリーニング屋さん

たしかに。好きながよね。

いろんなとこに顔出していろんなことを教えてもらって与えてもらって、いろんなことをやってきてやり続けてきて、今に至る。

これやってみたらどうなるがやろ?って攻めてた時が楽しかったなぁ。
このままじゃ攻める時間がとれんなる。
これ作ってみたらお客さんどんな反応するかなぁ、ここまでりぐったらイベントで足止めてくれる人おるかなぁ、とか。
注文をこなすだけでいっぱいいっぱい。こなせてないけど。

もしかしたら、そんなの考えなくてもいいのかもしれません。
イベント出店とかお店のPRとかしなくてもよくなりつつあるのかも。

いつか尋ねられて考えたことがあります。

「いろんな場所にフットワーク軽くどんどん出て行ってる笹岡さんの目指す到達点はどこですか?」
「んー、イベント出て行ってPRしなくても、ただ工場で作ってればお客さんが買いに来てくれる状態。」

でも、それはそれで楽しくないような気がしてきました。

「本当に欲しいものはエキサイトする心臓だろ」
斎藤和義『Are you ready ?』より

「生販分離」という言葉を目にしました。
生産と販売、両方やることでうまくいって忙しくなって今度はそれを分けようと。気持ちわかるー。けど無理ー。

工場にこもって誰かに売ってもらう。
誰かに作ってもらって売りに行く。
無理。全部やりたい。
僕が作って僕が売りゆう物を買ってもらえた。この充実感は手放せません。
それってきっと品質の維持とか技術の向上の源になっちゅうがやと思います。
「あー、これ中途半端」ってもの売れんし。自信を持って箱に入れたものじゃないと。自分で売るがやき。
そんなこと考えるといろいろ無理。

でも、本当にこのままではヤバいので対策は考えます。
年末年始の隙を見て親父さんとも話してみようと思います。

①本気で職人を養成する
もし今、僕が2人いたら売上げが2倍になる状況は作れてるような気が。
②事務作業をしてくれる人を雇ってみる
お店の接客やお金の計算や年賀状作ってくれる人がいたら楽だなぁ。うわー、年賀状…。
③仕事を整理する
業者さんからのご注文、出来るものはなんでも受けて来たけれどうちじゃないと出来ない仕事に絞る。一番現実的。
④値上げ
値段倍にしたら注文ゼロになるよねぇ。荒療治。非現実的。書いててドキドキする。

まぁ、たぶん「待ってでも欲しい品」を作る職人になること、そういう職人でいることが一番大事なことだと思います。

その上で、忙しい時はあるにせよ毎日19時くらいには仕事を終えて、楽しそうなイベントには休みの日に出店してはさみ屋を知ってもらって、その分代休をもらっても大丈夫なシステムの構築。出来れば週休2日で。隔週でもいいか。もちろん稼ぐことも頭に入れて。

それが出来たら鍛冶屋業界の後継者問題は解決します。

来年はそこを目指して。
今は身を粉にして明日の『いの駅マルシェ』に出店です。

その前に今日は仕事サボって凜くんとサッカーして来ます。
凜くんの中学サッカー引退記念の「親子サッカー」です。
「中3 vs. 保護者」ってだいぶ無理があると思うけど、本当に凜とのサッカーも今日が最後。
走って来ます!
この時以来。
骨折して帰って来たらごめんなさい。

明日のいの町、いろいろやってます。

・国際版画トリエンナーレ(30日まで)
・イノビ・オーダー2.7「イモビ・オーダー」~拡がりと繋がりから新しい価値を発見する町歩きアートイベント(30日まで)
・和紙と光のフェスティバル「デジタル掛軸 in 紙博」(22日23日)
・いのは生姜やき~生姜焼き街道(スタンプラリー12月20日まで)
・大国様秋の大祭(23日)
・職人ストリート(23日)

本当にいろいろあってわけわからんと思いますので、僕がお客さんなら明日の日曜日いの町へ遊びに行ってどう振る舞うか、シミュレートしてみます。

9時起床。やっぱり10時起床。

11時にいの町に着いて、生姜焼き街道でお昼ごはん。町内の17店が参加してます。どこにしよう。詳しくはこちら

それから商店街でイノビ・オーダー巡りながら13時から大国様秋の大祭のおなばれが練り歩いてくるのでどこかで出会う。大国様周辺におらんといかんね。

おなばれが過ぎたら「職人ストリート」で多肉植物を買う。たこ焼き(生姜焼きあんかけコロコロ鰹)も買う。ポン菓子はおみやげ。

再びイノビ・オーダーを巡る。

古民家、倉庫、空き店舗など12ヶ所の展示なので商店街を端から端まで、階段登って琴風亭まで。
仁淀川の石焼きイモの移動販売も見つけて食べる。ちょっとお腹張りすぎ。

イモビスタンプラリーもあるのでスタンプ集める。コンプリートして記念品もらったら、紙の博物館へ。

4時とか5時になってても大丈夫。この日は「夜の紙博」として夜間開館してるので5時以降でも入館出来ます。トリエンナーレ鑑賞。3年に一度しかない国際版画展です。

表に出たらすっかり日が落ちていて紙の博物館の建物にデジタル掛軸が投影されてます。鑑賞。体験。

紙の博物館の駐車場に出店している生姜焼きメニューを食べて生姜焼きスタンプラリーの台紙を手に入れてガリの試食をして、ビール飲みたいなぁと思いながら、デジタル掛軸の幻想をじっくりゆっくり楽しんでから帰路。

じっくり楽しみ過ぎてイノビのスタンプラリーが残ったり生姜焼き街道のスタンプラリーを集めるために来週もいの町商店街へ行く。

楽しめるはず。楽しんでください。
昼間はポカポカ、夜は寒いので防寒対策はしっかりと。

はさみ屋は『職人ストリート』(11時~17時まで)でお待ちしておりますのでちょいちょい出会いましょう。

あー、お客さんになりたいです。
職人ストリート終わったら夜の紙博へ遊びに行きます!

本当に盛りだくさんで観光協会さんや商工会さんや紙の博物館さんは大忙しでしょうが、しっかり準備してくれてますので、明日23日はいの町へ、是非!

土日は連チャン売り出しイベント。

土曜日はJR伊野駅で『いのえきマルシェ』
日曜日は帯屋町ほにやさん駐車場にて『四国の元気市』

土曜日、朝からひとつも売れないままのんびり土曜日を過ごした閉店間際、年配の女性がデザイン包丁の前で立ち止まる。
「新聞で見て記事を切り抜いて知り合いにお店の場所聞いてみたけどわからん言われて新聞も無くしてずっと気になっちょったら、こんなとこで出会えた。」

SANUKI no MEGUMI お買い上げ。 売上ゼロを覚悟した閉店間際のミラクル。40日前の新聞効果。

日曜日、お客様の流れを見て「今日も厳しい戦いになりそう」って思ってた午前中の早い時間。
若い女の子が寄ってきて
「あー、この包丁テレビで見たー。これ欲しかったがよね。買っていい?」
彼氏らしき男性に許可をもらってからご自分のお財布からお金を出す。

TOSA no DAICHI お買い上げ。6日前のテレビ効果。

すごいな、このドットとストライプ。
確実にいろんな人の心に残っちゅう。

そして、新聞やテレビを見てくれて心に残してくれちゅう人に出先のイベントで偶然出会うのも奇跡的。

同じいの町内でも探し出せんかったり、気にはなっていてもわざわざお店探して行くほどでもなかったり。それでも出会い頭にぶち当たるとあっさり15000円出してくれる女の子がいたり。

またなくなった。
頑張って作らんとね。

「テレビ出ちょったね。」っていっぱい声かけられていろんな人がたくさん見てくれてることを実感しました。

でも、それよりほにやさんにて
「ん?普段は大丸の前におるよね?」
って何人かに声かけられて『おかみさん市』に出続けて来た手応えを感じる。
こっちの方が本当の自分の評価みたいでよりうれしかたったりします。

ほとんどデザイン包丁しか売れてなくてこんな話ばかりになってますが、これは品揃えの問題。普段使いの万能包丁、全然並べられてません。

今週はお店の片付けほっぽって、しっかり作るつもりです。

今週末はいよいよ『職人ストリート』開催です。

TVの放送終わってホッとしました。
取材してもらう時は全然緊張したりしないのだけれど、今回は2日+半日2回の長い長い取材だったので、いっぱい撮られていっぱい訊かれていっぱいしゃべったので、結果それがどんな6分間に仕上がるのか想像が付かず、放送直前はめずらしく緊張してハラハラで家に帰りたくなりました。家で観よったがやけど。
カッコよく仕上がっててうれしかったです。

新聞でもテレビでも取材の度にたいてい訊かれる質問。

「どうして鍛冶屋さんになろうと思ったんですか?」

訊かれる度に考えます。
子供の頃から興味があった訳ではなく、モノづくりが好きだった訳でもない。手先が器用と言われたこともなければ、継げと言われたこともないし、継ぐ気なんてさらさらなかった。25歳まで。

幸いあまり苦労せずに勉強は出来たので大学行って遊んで遊んで、その時期が終わって仕事するってなった時に(一応他のところに就職はしたけれど)浮かんだのが「鍛冶屋さん」でした。

鍛冶屋さんというよりは「親父の仕事」でした。

仕事の中身は全然興味なくて見たこともなかったけれど、毎日毎日朝から晩まで工場からカンカン音が聞こえてて。油と鉄粉で真っ黒になりながらひとりきりで働きゆう姿。でも、それをすごいとか思ったこともなくてそれが当たり前の光景。

仕事がどう、じゃなくて親父の姿です。

「親父の背中」ってやつです。

親父の手元は見てません。

だから理由を聞かれると「親父がカッコよかったから。」しか出て来ない。それが正解ではないような気もするけれど、理由を付けるとすればそれしか出て来ません。

この仕事で稼いで僕らを育ててくれたお手本がいた。それを僕もやってみたい。出来るんじゃないか、という勘違い。
25歳の僕は言いました。お願いしました。

「鍛冶屋をやらせてください。」

「くれませんか?」やったかも。

それから20年近く経って目の前のお手本のようには全然出来てないし、仕事面でも親父のやってきた形とは全然違う方向に進んでますけど。

「親父がカッコよかったから。」

僕もいつかそう言われたいです。

今回のテレビ取材、2日間密着って書きましたが、その後『職人イドバタミーティング』と『おかみさん市』の様子まで撮影に来てくれました。
なので普段一緒に町でいろいろやってる仲間や帯屋町で通りかかった同級生達の映像も映るかもしれません。

どうして僕のところに取材に来てくれたのか、ディレクターさんが教えてくれました。

「笹岡さんがただ鋏を作る職人ですってだけなら来てません。笹岡さんを見つけて調べていく中で『職人イドバタミーティング』って何?って思ったから来てみたくなったんです。ブログ読んだらお仕事もすごく忙しそうなのになぜ地域の活動もやってるのか、って。」

このブログまで読んでくれて「この人忙しいって言いながら余計なこといっぱいやりゆうにゃあ。話聞きに行ってみよう。」ってことですね。

なぜやるのか考えてみる。
好きだから。
地域が好きってことより、そんなことやってる自分が好きだから。
町の活動に限らず、バニーアイズやら同窓会やら、あちこちいろんなところに居場所があるのだけれど、そこにいる人たちとの時間が好きだから。

参加するのが好きで、きちんと参加してたらだんだん役割とか役職が付いてきたりします。
役割が降りかかって来た時に考えるのは、やるのとやらんのと「どっちがカッコいいか」もうそれだけが基準。
誰かがやらんといかん時に誰かが手を上げるのを下向いて待つのと、最初に手を上げるのはどっちがカッコいいか。PTAの役員決める時と一緒です。

カッコいいと思う方を選んだら、大変な時もあるけれど、時々必ず充実の時や感動の一瞬が訪れます。
横から見て何の行動も起こすことなく批判や文句言うだけの人には絶対味わうことの出来ない感動が。

先週も一人仕事場でうれしくて泣きました。「あー、やり続けてきてよかったなぁ」って。やめられません。

だから誰かのためとか地域のためとかじゃなくて自分のため。自分が楽しむため、うれしくなるため、泣くため。

余計なことばっかりしゆうけれど、それがいろんなところで仕事に繋がったり。って言うより必ず仕事にも繋がる恵まれた職業。同窓会の幹事をやって、いくつ包丁が売れたかわかりません。ありがたいことです。生活に密着した道具を作りゆうラッキーさ。大工さんが同じことやっても家の注文なんていくつもないはず。ん?それでも一つがデカいから数は少なくてもいいのか。

そんな訳で工場にじっとしていられない鍛冶屋は、これからも余計なこともしっかりやっていきたいと思います。

それでテレビの取材が来てくれたりするがやき、本当にラッキー。

「大切なのは安請け合い」

テレビの取材を受けました。
放送は11月10日(月)午後6:10~
NHK『こうち情報いちばん』の
『しあわせじぶんいろ』ってコーナーです。お時間合えばご覧ください。

最近急にメディアに出ることが増えてます。
2月には四国旅マガジン『GajA』さん
10月初めに高知新聞さん
ほとんど同時にちょい役でミリカさん
来週はNHKさんで放送されて
12月にはJAさん発行のフリーマガジン『とさのうと』にもうちの鋏が登場します。

新聞に出てすぐに「かき氷機の刃は研げますか?」って問い合わせはありました。
「雑誌で見たので買いに来ました。」って岡山から植木鋏を買いに来てくれた方もいました。『GajA』効果。

それでもそんなにお客さんが増える訳ではありません。

メディアに出る意味ってきっと新規顧客獲得よりも、既存のお客さんの満足感アップの方が大事なんじゃないかなぁ。

新聞で僕を見て「あ、いつも研ぎを頼むはさみ屋さんや!」とか思ってもらうこと。「あ、この鍛冶屋さんの包丁使いゆう!」とか。常連さんに喜んでもらえるよね。
自分がよく行くお店がテレビとかで紹介されたらうれしいもんね。
それでまたご来店の時に「新聞出ちょったねぇ。見た見た!」って言ってもらえて。

あと友達もすごく喜んでくれます。
同級生のメーリングリストに「今朝の高新にはさみ屋さん出てます!」って流してくれたり、小学校時代の同級生の女の子が研ぎ直し持ってきて「新聞見た!雑誌も見たよ。頑張りゆうね!」って言ってくれたり。うれしいなぁ。

今回のテレビ取材は本当にお店の改装とか刃物まつりと重なってまあまあ大変でしたが、受けて良かったと思ってます。
忙しかったけどね。2日間密着。

そんな時間あるなら包丁仕上げなさい!って自分で思いもしたけれど、

「取材断るなんて100年早い。」よね。

たまたまちょっとあれもこれも続いてるけれど取材をしてもらえるなんてそうそうあることじゃない。いろんな職業いろんな人がいる中で見つけてくれた。
鍛冶屋という仕事が斜陽産業で数も減って後継者も生まれず、いつの間にか珍しい職業になってしまって、という状況もラッキーなわけで、本当にいろいろ恵まれちゅうなぁと思います。同じテンションで仕事してても見つけてもらいやすいはず。

さらにポジティブに考えると、今回テレビを見てくれた人の中に5年後10年後の新規顧客が潜んぢゅうかもしれんしね。そんな結果、検証しようもないけど。

見つけてくれたから、声をかけてもらえらたから出る。その姿勢で行きます。
また誰かに見つけてもらえるように仕事します。
あー、お客さんへの向き合い方と一緒ながや。

「惑わされない勇気と踊らされない心」
(斎藤和義『手をつなげば』より)

これも必要。

この前「ブランディング」について講習を受けました。

その時つけたノートを見直して

・新規顧客開拓よりリピーターを大切に
・他とは違うところを特化すべし
・いろいろ言うより一つにフォーカス
・特化出来ればキョリもキボも関係なくなる
・その先には価格競争から抜け出せる
・大切なのはこの品を選んでこのサービスを受けてお客様がどうなるか
・それを正しく伝えること

「売る」じゃなくて「伝える」

うん、やってきたし、そればっかりやってます。
「さとるさん、売る気ないよね。」って言われて喜ぶ。
だからこの講習は学ぶというよりは確認。
今まで通り続けましょう、です。

昨日も帯屋町に出店して来ましたが売上はゼロ。
(売れ筋が並んでないので仕方ない)

それでもいつも研ぎを持って来てくれるお客さんから「この前新聞出ちょったねー。見たよ!」とか、ちょっと興味ありそうに見てくれる方にチラシを渡したり。それでいい。
(一応、研ぎ直しで出店料と駐車場代は出てます。)

それでいいと思え始めたのはいつやったがやろ。
初めは「あー、今日は売れんなぁー。」ってがっかりしたりしよったのに。

ある時から売れないことが怖くなくなりました。
毎回毎回売れん訳でもありません。念のため。
でも、その日たまたま良く売れるより、次に刃物を欲しくなったり研ぎ直しを頼みたくなった時に思い出してもらえるために、が大切ながよね。
どんなイベントに出店したとしても「包丁欲しいなー。」って思いながら探しながら歩きゆう人なかなかおらんき。刃物まつりは別やけど。

その「思い出してもらう」ためにはさみ屋Tシャツ着て頭にタオル巻いてあちこちのイベントに出るし職人ストリートやるしそこでチラシ配るし。
砥石持ってって研ぐ姿を見てもらって試し切りで切れ味を体験してもらう。

「あ、またこの鍛冶屋さんや。」
「この人また包丁研ぎゆう。」

出品可能なアンテナショップにはショーケース構えて並べにいくし、チラシを置かせてもらうし、ブログも書きます。

「あ、このドットの柄かわいー。」
「この鍛冶屋さんこの前イベントで見たなぁ。」

うん。それでいい。

で、もう本当に奇跡的にめでたくうちのお店に来てもらえたら油と鉄粉まみれの汚れた仕事着で頭にタオル巻いた見たことある兄ちゃんが出てくる。

それでいいはず。
それがブランディングやろ。

「親父と2人で作ってます。」
「どこの品でも研ぎ直しします。」

これだけを伝え続けて来ました。
刃物売ってるだけのとこに出来ないこと。
刃物作ってるだけのとこがやらないこと。

特化。難しいことじゃない。

だって、「刃物を作ってます。研ぎ直し致します。」ってのは、僕が始めた訳ではなくて何十年も前から親父さんがやって来たこと。もともとそういう素地があったことに本当に感謝。

それをうちの強みと感じたからこそ、その部分をもっと目立たせるように動きゆうわけで。

そうして行かんとうちの仕事が続いてなかった、ってのもあるし。
従来の刃物業者さんからの注文がいち早く激減したことも、今となっては感謝です。

注文が減ったからこっちを向けた。

プラス思考。

それからマーケティングを説明するこんな表を見つけた時も

あ、これやって来た。
間違ってないぞ。

そして、キョリもキボも関係なくなって来たことをだんだんと実感してます。

そして、それは工場にこもって作ってるだけでは伝えられないこと。
だから『職人ストリート』をやってます。真面目に仕事してる周りの若い職人さん(散髪屋さんやクリーニング屋さんや植木屋さん)達にも自分を発信出来る場所を。

「僕がやってます!」って最強やもんね。
みんな自分の手で仕事しゆうがやき。

さらに『職人ストリート』そのものがブランディング出来たらすごいのになぁ、なんて考えてます。

11月23日(日)いの町商店街にて『職人ストリート』やりますので、是非遊びに来てください。

毎年10月あたりはイベントラッシュの時期でなかなか忙しくてこのブログにも毎年毎年「たぼー」とか書いて「こんなに忙しかったことはない!」なんて思ってる季節ですが、今年もすごいです。

・刃物屋としては最大のイベント「刃物まつり」の準備、本番
・店舗改装に伴うお店の片付け、あふれる物の移動
・新聞登場からのお問い合わせや新しい商談
・テレビ取材2日間(これについてはまたお知らせします)

これに加えて高松(10日)と松山(25日)のイベントにデザイン包丁を送り込む。ギリギリ発送、なんとか間に合う。どちらもしっかり売っていただきました。「売ってみたい。」と思ってくれるのは本当にうれしいし、ありがたいことです。

もう本当に全部が全部重なって訳がわからん感じですが、その場その場はなんとか乗り切ってます。

ここ2週間は会や飲み会がない日はほぼ9時頃まで残業の日々。
この前は凜くんとのお勉強の予定をお休みもらって日付けが変わるまで包丁を仕上げました。終わったのが夜中の1時。自分史上最長労働。

「世の社長さんやビジネスマンはもっと遅くまでパソコンの前に座っちゅう人いっぱいおるはずや。こんなの普通。」って自分に言い聞かせながら、「それでも、こんな時間まで包丁砥ぎゆう鍛冶屋はおらんね。」なんてニヤリとしながらそんな自分に酔える性格で良かったです。夜中12時に一人工場で「俺、頑張るにゃあ」って悦に入る。

本当にありがたいことにまだまだ忙しい日々は続きそうですけど、目指すは週休2日です。

あ、2週間振りの休みだったこの前の日曜日は朝6時半出発でソフトボールして来ました。仕事の日より早起きです。
あっさり負けた試合が終わってシャワー浴びてから県展を見に行ったあと吾北までドライブしてキャンドルイベント『Sinkilow』で癒される。

動いてないと死んでしまう体質なのかもしれません。

でも、週休2日で成り立つ鍛冶屋のスタイルを確立したいです。
そのために今、やれるだけやります。
やってます。

それでも、これだけいろいろ同時に重ねんでもいいやんね、とは思うけど。

「給料なくてもいいので雇ってくれませんか?モノづくりがしたいんです。」

こんな若者がお店にやって来たのが9月の終わり。23歳の子。

「そう簡単には雇えんよー。ま、何かあったら連絡する。」って電話番号を聞きました。

親父さんに報告。「そりゃ無理や。」って言われるかと思いきや
「一人おったらえいとは思うけど。」

意外な反応。自分が引退して僕が一人になった時のこととかも考えてくれゆうがやろね。
ちょっと動いてみることにする。

いの町商工会さんに「人を雇うのに使える補助金ないかなぁ。伝統工芸の後継者育成のやつとか。」って相談したのが10月の初め。

すぐに「ありました!」ってお返事くれて話を聞く。

・研修期間は2年
・研修生の生活費が毎月15万
・指導代として雇う側にも毎月5万

すごい。

・刃物の組合に入ってなければ受けられない
・研修期間とその1.5倍の期間(2年受けたらさらにそこから3年)の間、その仕事から離れると全部返済しなければならない

これは覚悟が要ります。

「もし雇うがやったら是非使うべきです。役場の産経課長さんにも話してみたけど、大丈夫な感触でした。」

お金の出処は町と県らしい。

組合には所属してないので、刃物まつりの時に組合事務局である香美市商工会さんに尋ねてみました。
「組合の入会金は?年会費は?この補助金使うとなったらすぐに入れますか?」

OKらしい。

翌々日、県の工業振興課さんからお電話が。
「香美市の商工会からお聞きしたんですけど、実現しそうですか?予算組みとかもあるので早めにお返事欲しいです。」

こっちは制度を調べてるだけで当の本人の意志を確認してません。
「わかりました。会ってみて話ししてから連絡します。」

翌日面接。
ひと月たったけどまだその意志はあるみたい。

補助金の話をする。
雇うのならばうちはこれを使います。使わずにいきなりお給料を出すのは厳しい。3ヶ月とか一年とかで「やっぱり辞めます。」ってなるとうちにとっては損失でしかない。一年やったからって給料分稼げるようになるはずもなく。もしかしたら三年やっても戦力になるのか。微妙やね。そういう仕事。
補助金もらうと2年+3年の間に辞めれば返済になります。つまり、刃物を作ることを一生の仕事に出来る?その覚悟がないと雇えんよー。

こんなことを伝えました。

あっさり引き下がってくれました。
そこまでは思ってなかったみたい。
正直でよろしい。

はさみ屋、雇用を生み出せず。

一鍛冶屋と23歳の若者のために、いの町商工会・いの町・香美市商工会・さらに高知県までが動いてくれたのに何も起きず。
申し訳ないっす。

でも、勉強になりました。
そういう制度があることはもちろん、今まで全く考えたことがなかった「人を雇う」ってことを考えるきっかけになりました。

今現在、岐路であることは感じております。幸せなことにありがたいことに仕事はいっぱいいっぱいなので。
人を雇って仕事を大きくしていくのか、逆に仕事を絞って小さくしていくのか。

揺れてましたが、片方に傾きつつあります。
心が決まったとはまだ言えません。

本当、考えるいい機会になりました。

よく僕を雇ってくれたなぁ、親父さん。
頑張って働かんとね。

改装進行中。

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