歴史・理念

鋏鍛冶との出会い

創業者である笹岡英二が、中学を卒業し、集団就職の一員として大阪行きのフェリーに乗り込んだのが、昭和33年。その時点で就職先は決まっておらず、大阪に到着し、就職先に決まったのが、堺の鋏鍛冶でした。 最初は雑用で、3年たってやっと、火を扱わせてもらうことに。見習いという言葉どおりに、親方の手元を見ながら鋏作りのすべてを覚える修行の日々でした。 これが英二と鋏鍛冶との出会い。 職人紹介

笹岡鋏製作所の誕生

昭和45年。堺の鋏鍛冶で12年の修行を積んだ英二は、故郷である高知・いの町に製作所を構えます。 包丁や鎌などの打ち刃物ではよく知られた高知でしたが、手打ち鋏専門という鍛冶屋は少なく、生花用の鋏を中心に鋏全般をこなせる笹岡鋏製作所は、高知でも貴重な存在でした。 50年近くたった今でも、多くの愛用者から支持されています。 会社概要 アクセスマップ

親子でつなぐ未来

「職人は頭が固いというイメージがありますが、父にはチャレンジ精神がある」と息子の悟は語ります。 英二は、鋏づくりの経験を生かしながら、独学で農具や包丁も手がけ、作れるものの幅を広げてきました。 悟もまた、鋏鍛冶の技術を継ぐ一方で、イベントの出展や新商品の開発にも精力的に取り組でいます。 その一環として誕生したのが、香川県の木工職人やデザイナーとのコラボレーションによる包丁。 伝統を守りながらも、常に新しいことに挑戦する姿勢は、次の世代にしっかりと受け継がれ、各方面から注目を浴びています。 メディア掲載実績

一日8丁

笹岡鋏製作所の鋏は、自由鍛造。一本一本鋼を打ち上げていく製法は時間がかかります。機械だったらほんの一瞬で終わる作業も、手作業では何時間もかかることに。一日に生産できる量は、多くて8丁。しかし、形はこのままでいいかから刃を少し短く。握りの形を変えてほしい…。こういった注文に応えるのは、造作もない事。全国各地の植木職人を中心に、その品質は高い評価を得ています。 「良いものを手入れしながら、長く使いたい」 そんな方たちの手に笹岡鋏製作所の鋏を。 取扱商品 鍛冶のご依頼