3月24日は雨が多い。
はっきりした記憶があるわけではありませんが実感としてここ10年は8割雨が降ってる気がします。
それから3月24日は日曜日にならない。
平日ばっかりです。これは携帯のカレンダーで調べてみました。土曜日はあるけれど2002年以来日曜日になってません。実感通りでした。来年以後を見ると2013年まで日曜日になりません。
毎年同じ日の同じ時間に同じ場所に行ってたらそんなことに気がつきました。
今日も雨、水曜日。
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年: 2010年
3月24日は雨が多い。
はっきりした記憶があるわけではありませんが実感としてここ10年は8割雨が降ってる気がします。
それから3月24日は日曜日にならない。
平日ばっかりです。これは携帯のカレンダーで調べてみました。土曜日はあるけれど2002年以来日曜日になってません。実感通りでした。来年以後を見ると2013年まで日曜日になりません。
毎年同じ日の同じ時間に同じ場所に行ってたらそんなことに気がつきました。
今日も雨、水曜日。
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やっぱすごいね。
あの白い子。
朝のお日様をお月様みたいに見せてくれたものすごい黄砂の中、予定通り行われた『お別れ親子サッカー』は20分3本勝負で一勝二敗。
一勝一敗で迎えた3本目は負けてたのに延長戦。コーチの「最後どっちか一点とるまでやろう!」の声に最後の力を振り絞るオヤジ達とお母さま方。
キーパーすすむちゃんのファインプレーや野島コーチの枠に飛ばない強烈シュートの数々。子供達も名残惜しかったらしくシュートをいっぱいポストに当ててくれました。
結局20分近く延長して大人達はぼろぼろになりましたがどちらもゴールできないまま終了のホイッスル。誰かが倒れる前に止めてくれた土居コーチの笛に拍手です。
自分的にはたいした見せ場もなく、3本目が始まった瞬間に足がつったり、諒のドリブルをマークして「よし、横パスに逃げさせた。」って思った次の瞬間に「あ、ワンツーってこれか…。」って教えられたりしましたが、なんとか最後まで走りきりました。涼太のミドルもブロック出来たし。楽しみました。
もう負けて悔しいとかないね。遊ばれゆう感じすらある。
でも、たぶん、普段走ることなんてまるでないであろうお母さん達がボールに置き去りにされながらも一生懸命走る姿や、絶好のチャンスにシュート態勢のまま足つって一時停止してしまったお父さんや、「たぶんヒビ入っちゅう…。たくやと交錯した時。」ってあばらをおさえて笑いながらビール飲みゆうオヤジ達は本当に素敵でした。選手達にもきっと伝わっちゅうはずです。今はわからんでもやつらが38歳や44歳になった時「あいつらすごかったがや。」って思うはず。それでいいし、そればあやった。
本当に真剣に遊んでくれた選手、コーチ、そして保護者の皆様、ありがとうございました。また遊びましょう。
もうひとつナイスな出来事。
サッカーするには長すぎる前髪をゴムでくくってちょんまげにしていった僕に未就学女児が言いました。
「さとるちゃん、りょうまみたい!」
うん、やっぱりみはるはえい子や。
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日曜日に『お別れ親子サッカー』があります。六年生チームと最後にもう一度試合させてもらえる機会をいただきました。
でも天気予報は雨。嵐が吹き荒れるそうです。
「日曜日雨らしいで。」
「ふーん。」(涼太)
反応薄い。
まぁ、彼らにとっては親父達との試合より火曜日の卒業式や翌週の土日にある今のチームとしての最後の大会の方が大きなイベントでしょうからこの反応は仕方ない。ワクワクしちゅうのはこっちだけ。
「ふーん、って。親子サッカーの日やのに天気予報は雨ながぞ。」
「うん。」
「まぁ、てるてる坊主作ったら大丈夫やけどにゃ。」
「ふっ…。てるてる坊主って…。」
ふっ…、って笑われました。その意外な反応にびっくりして笑ってしまいました。バカみたいやけど本当にびっくりしました。ほんのこの前まで「明日雨降るらしいきてるてる坊主作っちょけよ。」ってアドバイスに「うん!」って返事しよったのに。超大人な対応。
何回助けてもらったか忘れておられる。
そんな風に勝手にどんどん大人になってからちょっとしたら「大人になんかなりたくないぜー!」って歌いだすくせに。
まぁ、天気予報はてるてる坊主を作るべきか作らんでもえいかの判断材料でしかない、っていうことを証明しちゃります。
スパイク磨こう。
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今日は東京からお客様がありました。バイクで四国の鍛冶屋さん巡りをされているとってもアクティブな50代の方でした。
好きな人おるねぇ。
東京の世田谷で休みの日に鍛冶屋さんをしているとのこと。
昔の建物を再現して昔の暮らしを体験できる施設があり、その中にある鍛冶小屋で鍛冶屋の仕事を観光客に見せたり子供達に鍛冶を体験させたりするボランティアをしているそうです。
鉄を使って刃物や道具を作るのを楽しんでいるけれどやっぱり人に見せる部分もあるので全国のいろんな鍛冶屋さんを見て回ってお話を聞いて勉強しているそうです。北海道の鍛冶屋さんにもツーリングがてら行ってきたとか。すごい。
そういう人に見学先として選んでもらえたことがとってもうれしい。
昔の鍛冶屋を再現した施設なのでハンマーもないしプレスもない。「槌とタガネとヤスリとセンだけ」で刃物作ってるそうで(つまりすべて人力)、うちの機械や設備を楽しそうに、うらやましそうに見てました。
そんな大変な作業なのに同じ施設で同じように鍛冶仕事をしてる人が他にもたくさんいて土日は場所の取り合いだそうです。本当に好きな人おるがやね。
1日いくらで工場のレンタル初めてみようか。多分需要はあるね。遊んで暮らせるかもしれん。
陶芸教室みたいな感じで鍛造体験教室やったら絶対流行るのになぁ。
「自分で一丁仕上げませんか?」って。陶芸よりはきっと敷居は高いけど包丁1つ作って持って帰って使う達成感はちょっとケタが違うがじゃないろうか。行列の予感。また儲かるシステムの発見です。
話が逸れましたがそろそろお礼を述べさせていただきます。
本日は遠いところお越しいただきありがとうございました。いろいろお話できて楽しかったです。(儲かるシステムも見つけたし。)機会があればそちらの鍛冶小屋にもお伺いしたいと思います。またいつでも遊びに来て下さい。
本当にありがとうございました。
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一日中ラジオ聴きながら仕事した結果、もし僕がミュージシャンなら「きっと桜は歌わない。」なんてことを思いました。ミュージシャンじゃないきなんにも歌えんがやけど。俺ならなんかちがうもんで別れや卒業や旅立ちや春や出会いを表現しちゃるのにって思うほど桜の唄で溢れてました。食傷。気味ではなく食傷。本当にミュージシャンではないのでなんちゃあ表現できんがやけど。
んーとねえ、たとえば
スイートピー。赤いやつ。
やっぱりレンゲかモクレンか。白いやつ。
芙蓉の花っていつ咲くがやろ。
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「俺なんかよりずっとイケる
べっぴんさんにきっと惚れられるー
もうそれだけは気合い入れてやりなぁー」
(民生さんの『息子』より)
昨日は涼太くんを美容院に連れて行きました。
12年間彼の専属カリスマ美容師を仰せつかってまいりましたがついに契約解除です。ずっと企んでいた契約解除です。
自分が中学校に入学した時は丸坊主でした。小学校時代は男子の85%がボウズという環境にいて髪型などというものについて考えたこともなかった僕には髪が長い同級生達はちょっとしたカルチャーショックでした。そして髪が伸びるまでの数ヶ月間は少しだけコンプレックスを感じていた気がします。中1にして140㎝に足らないチビで丸刈りの少年はそれ故にかわいがられた面もあった様にも思いますが。
なので自分の息子はカッコよくしてから中学校に送り込んでやろうとずっとずっと思ってました。ついにその日が来たわけで。また一つ僕の手を離れて行くわけで。
そして最初は自分がいつも切ってもらってる美容師さんに預けようと一人で勝手に決めてました。そっから先は自分で見つければいい。
「まだ着かんがー?」って言われながら1時間弱のドライブを経て辿り着いたボンニー南国店のマネージャーへのオーダーは
「卒業式とか入学式とか考えなくていいです。中学校入ってモテる髪型にして下さい。」
「了解。」
もう僕の手で切ることはないがやなぁって思いながら眺めてました。
出来上がってワックスなんかでスタイリングしてもらった涼太くんはやっぱりちょっと大人になった様に見えました。
うれしさびしいとはこのことか。
まぁ、我が子の美容院デビューに立ち会えた幸せを噛みしめながら、あと2年は凜くんのスタイリストを全うしようと心に誓いました。
2年らぁてすぐ過ぎるでね。
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「長いもんに巻かれる様な生き方はしとうないき!!」
(龍馬伝より)
こんなセリフ言ってみたいので誰か長い物で巻こうとしてくれんろうかとか思いました。組織やしがらみの中で生きてるみなさん、考えが甘くてすみません。本当に恵まれた環境で働けてます。感謝。
昨日ある高校から給食室の包丁が32丁持ち込まれました。
その30分後に別の高校からも研ぎ直しがやって来ました。27丁。
お預かりしたあと、冷静に足し算してみたらさすがに「うげげ。」ってなりました。
稼ぎ時です。
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昨日電話がありました。
「涼太が頭に立派なタンコブ作って帰って来た。どうしよう。」
ストーリー
学校からの帰り道、左京が傘の水を涼太に散らしました。
「やめろや、サル!」
涼太のセリフに左京は飛びかかりました。
もつれてアスファルトに転がる2人。
で、タンコブの出来上がり。
電話の向こうで元気なく説明する涼太。
「そうか、わかった。で、どうしたい?」
「………謝ってほしい。別れる時に俺は『サルって言ってごめん。』って謝ったのに左京は黙って家に入ってった…。」
自分から謝ったか。やるじゃん。
(これは後に、目撃者涼介の証言により誤解と判明。「左京も謝りよったで。涼太には聞こえんかったかもしれんけど。」さすが涼介、いい仕事するね。)
この誤解が解けてない時点の会話です。
「謝ってほしいか。うん、それは当然や。じゃあ明日お前が自分でなんとかしろ。」
「…。」
「明日会った時にそう言うことも出来るし、怒った顔しちょくことも出来る、普段通りにおはよーって言うことも出来る。それはお前次第。」
「うん…。」
「年上の子にやられたとか必要以上に殴られたとかやったら父さんが文句言いに行っちゃお。けんど普段仲良しの六年生同士のケンカや。傘で水散らしたりサルって言ったりそれに腹立てて飛びかかったり、そんなん普通のことやろ。」
「うん…。」
「だから今回は父さんはなんにもしない。お前にまかす。」
「わかった。」
電話切った後思ったこと。
「ちょっと冷たかったろうか。でも親が出て行く程のことじゃないしにゃあ。けんどこんな風に報告してくれんなったらイヤやにゃあ。言っても父さんは助けてくれんがやって思われたら…。まぁ、その判断も成長するか…。」
で、今日、本人達は無事仲直りしたようです。
しかし新事実が1つ。
左京、左手小指骨折判明…。
まぁ、見事な喧嘩両成敗です。
「お前はタンコブで済んだ。けんど左京は骨折しちゅう。明日もう一回お前からあやまっちょきや。」
「わかったー。」
うん、男の子や。
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