鍛冶屋日記

カテゴリー: 鍛冶屋日記

桜花賞を外した翌日の今日。(あー、メジャーエンブレム…)
長男涼太くんの専門学校の入学式でした。
『高知理容美容専門学校』
美容師さんを目指してスタートです。

赤や青や緑や白の髪の子たちが60人。女子はメイクもばっちり。
「明日は個人名札のための写真撮りがあるので、髪のセットやメイクもばっちりして来てください。」って先生が注意事項としておっしゃる学校。どんどん新しい世界を見せてくれます。

入学式終わりで仕事場兼実家へ。
生まれて初めて買ったスーツのスポンサーになってくれたじーちゃんばーちゃんにご挨拶がてらスーツ姿を見せに行く。立派な赤い髪の孫に育ちました。

帰る前に記念撮影。
仕事着姿であることにちょっと抵抗を感じたじーちゃんでしたが写真に収まってくれました。

大丈夫です。
あなたのその真っ黒で火花が散って穴だらけの仕事着が孫の未来の一部を確実に作っております。
じーちゃんから孫に繋がるのは当たり前かもしれんけど、うちの場合はもっと直結。

鉄粉と油にまみれた仕事着。
炎にさらされ穴だらけの仕事着。
それが孫のかっこいいスーツに繋がっちゅうわけで。

そうなりたいよね。
本当に。

いい写真だ。

春が別れの季節であるということに久しぶりに気づかされた3月の終わりでした。人事異動め。感謝を伝えて楽しく送り出すしかなく。
飲んだ飲んだ。泣いた泣いた。吐いた吐いた。泣いて吐いて寝て起きたらもう新年度始まっちゅうし。窪内さんも遠くに行っちゃいましたよ、花村さん。ずっと一緒に真剣に遊べたらいいのにね。

5年。5年が長いのか短いのか。一年があっと言う間で「あ、朝倉会もう一年やってないやん。」なんて考えると5年もたぶんあっと言う間。

えーと、なぜ5年について考えたかというと5年前に宣言した目標の結果を検証しなくてはならない時が来ました。
2011年のたぶん3月20日に同級生2人の女子の前で発表した目標。その時は書いてないけどそれから後、この時にブログにも書いちゅうね。

「あと5年で高知で一番の刃物屋になる!」

ワンピース的な。
達成出来たなんて全然思ってません。
が、鍛冶屋として仕事として思う方向にはしっかり進めたと思ってます。
取引先の注文に左右されない売上。自分で値段を決められる状態。お客様と直接やり取り出来る態勢。
5年前に「この方向に進めば一番になれるろ」って思ってた道は間違ってなかったと思います。高知で一番にはなってなくてもしっかり結果も出て来たし、このまま進めばもっともっといい感じになる自信はある。
これからきっと大きな大きなピンチな出来事が起こることも簡単に想像がつくけれど、大丈夫。

5年前もこの5年間もこの訳のわからない自信でここまでたどり着けました。

一番をこじつけて考えるなら
・高知で一番小学校時代の同級生と遊びゆう鍛冶屋(25歳からほぼ毎月)
・高知で一番麻雀が好きな鍛冶屋(あー去年の11月からやれてない)
・高知で一番高校の同窓会の壇上でスピーチしゆう鍛冶屋(この一月に5回目達成)
・高知で一番イベントの実行委員長な鍛冶屋(これも3回くらいはやったね)

こうやって限定していけば一番なんて結構あって(調査した訳ではないので2番かも3番かもしれんし、もちろん鍛冶屋の枠を取っ払えばこんな人はいっぱいおるがやろうけど)、そんなせまい範囲の一番でもそれがいくつか積み重なればそれはそれでしっかりオンリーワンになっていくわけで。

そしてそのオンリーワンさが僕らの仕事には大事であって。オンリーワンだから知ってもらえる機会が増える。「鍛冶屋です。刃物作ってます。」を知ってもらうことが大事。印象付け。

単純に「鍛冶屋」より「麻雀が大好きな鍛冶屋」とか「仁淀川を活かして町を元気にする会議に出る鍛冶屋」とかの方が印象付くよね。
もちろん「いつも笑顔」とか「仕事が丁寧」とかも同じこと。

全部全部積み重ねて、自分自身をブランディング。
好きなことやっていろんな場所で楽しんでそうなっていけば最高やと思います。
そうして来たし。

さぁ、5年後どうなっちゅうがやろ。
明るい方が未来です。絶対に。

「見よってください。」

久しぶりにテンションが上がる出来事。

日曜日を振り返ります。
いの町の精鋭が集まりひろめ市場でいの町フェア。観光協会に連れられて紙屋さんやけずり芋屋さんと一緒に出店。


人はどっさりひろめ市場に飲み込まれて行きますが、はさみ屋ブースに立ち寄る人は限られていて、売上は2,800円と3,000円の小さい包丁が2つだけ。

そのうちの3,000円の包丁を買ってくれた方がフランス人でした。外国の方は日本の刃物に興味を持ってくれます。

「これ僕が作ってます!」って伝えたくて
「I am knife maker !」って言ったら
「Me too.」って。

フランスから来たナイフメイカーさんでした。作り手。ビックリ。

それからフランス人と日本人が英語でコミュニケーション。
以下、たぶんこういうこと言ってたんだろうなぁ、の会話です。

「高知にセブンデイズいます。あなたのショップに行ってもいいか?」
「もちろん!」

「あなたのナイフをフランスで売りたい。ビジネスがしたい。大丈夫?」
「OK。是非来てください。」

名刺をもらって名刺を渡す。

本当に来たらおもしろいなぁ、と思ってたら本日ご来店!
奥様と2人のかわいい娘さんを連れたフランス人がはさみ屋に車で乗り付ける。

あらためて
「ビジネス出来ますか?貿易出来ますか?」
「やってみます。トライトライ。」

もうフランスにどうやって送ったらいいかもわからんし。お金のやり取りどうするがやろ。
「アイトライツースタディ」

「ここの包丁、サンプル的に今日持って帰っていい?」
「いいよー。」

「どれくらいで卸せる?」
「この付いちゅう値段の〇〇%で。」

「価格表をペーパーに書いてください。」
「了解!」

で、包丁の種類とサイズと卸価格を一覧表にしてお渡し。

「じゃあ、選ぶね。」って、あれもこれもどんどん出して来て結局13丁。

「うわ、これ持ってっていいとは言ったけどお金は今日くれるって言ったがやろか?後日払うけどいい?って言いよったがやったらどうしよう。まぁ、いいか。」

で、伝票書いて合計「53,300YEN也」

伝票渡すとお財布から日本のお札が出て来て無事お支払いいただいて。

うちの包丁11品目13丁、NAKIRIやDEBAがフランスへ旅立つことになりました。

すごいなぁ。
言葉通じんのにお取引が始まる。

「2週間後にフランスに帰るので、追加注文はE-mailで連絡するね。今後は先に振り込むのでそれから送ってくれたらいい。メールでバンクナンバー教えてね。」

「完全に遊びで日本に来たのにビジネスのお話が出来て良かったー!」って。

以上はあくまで僕がこう理解しましたよ、って会話の内容です。コミュニケーションは困難でしたが、話してる間ずっとワクワクしてました。

レブロン・ステファン。36歳。

サンキューサンキュー。

2週間経ったらフランスでさとる包丁が売られる模様。

日本の高知のいのの鍛冶屋の刃物が少しずつ少しずつ世界へ。オーストラリアに続いての2ヶ国目です。

さぁ、フランス語のメールを読み解いてお返事書ける人を探さんといかんね。

ひろめ市場のいの町フェア、出店して良かったです。2丁だけの売上がすごい結果に化けました。

行ったから出会う。
行かんと会えん。

単純なこと。

先週土曜日に高松で開催された『デザインサミット in 香川』にて事例発表してきました。四国経済産業局さんの「モノづくりとデザインのマッチング事業」の事例発表です。デザインを取り入れた包丁のお話。150人の前で。

150人を前にして話す機会なんてなかなかないきね。
でも、同窓会で20数年ぶりの同級生120人の前で幹事代表のスピーチした時の方が緊張したなぁ。あの時はガクガクやった。その経験も活きちゅうに違いない。

今回は自分の経験してきたことを話すだけやし。

150人に聞いてもらって少しでも一歩踏み出すきっかけになれば、と思って半日かけて台本を書いたのでここでも発表しときます。
内容は「いいことばっかりやったよー。みんなもどんどんやればいいよー。」です。

与えられた時間15分の原稿です。
長いですけど、ご興味あればご一読ください。

【自己紹介】
みなさんこんにちは、高知県で鍛冶屋をやってます、刃物を作ってます、笹岡鋏製作所の笹岡悟です。
モノづくりとデザインのマッチング事業の事例発表ということで本日お話しさせて頂きます。よろしくお願いします。

【自社紹介】
まず当社の紹介ですが、父が大阪の堺で修行して46年前に現在の工場のある高知県いの町で独立。
もともとは生花鋏や刈込鋏を作り、ほぼ100%を問屋さんや小売店さんへの卸しで成り立ってました。

そこに自分が19年前に弟子入りして二人で作るようになりましたが、ちょうどバブルの崩壊やホームセンター全盛の時代で安価なステンレス製品や機械で作った大量生産の製品に押され、注文や売上は年々減少していました。

その売上減少を埋めるために鋏以外の刃物、包丁・鉈・鍬なども作るようになり、工場の隣をお店にしてイベントや定期市への出店やHPでの販売などお客様と直接繋がる場面を強化するとともに研ぎ直しや柄の付け替えなどのメンテナンスも父の時代からやってましたので「なんでも作るしなんでも直す」という強みをアピールしてなんとか仕事してきました。

【土佐打刃物の説明】
土佐打刃物とは400年の歴史を持つ高知県の伝統産業で、いわゆる鍛冶屋さんが作る手打ちの刃物なのですが、機械で作ったものとの違いとしては品質の良い鋼を職人が叩いて作ることによって出る、耐久性・耐摩耗性、つまり切れ味が長持ちするという点です。

弱点は錆びること。やはり錆びるのを嫌う人は多く、錆びないステンレス製品が普及することで、土佐の刃物は売れなくなってきています。

【時代】
ただ時代としては、「安いものを使い捨て」を通り過ぎ「良いものを長く使う」
「高品質のものをメンテナンスしながら大切に使いたい」という人が増えていることは実感しています。
問題はそういう人たちにどう届けるか、どう知ってもらうか。

「僕が作ってます、親父と二人で」これが最強の説得力であって、農家さんが顔と名前を付けて野菜やお米を売っているように職人が顔を出し直接お客様とやりとりして「錆びます」ということも含めて説明しながら売っていく・買ってもらうを繰り返していく中で、選んでもらえる自信は出来てきました。
事実、卸の仕事は今も順調に減ってますが、直接買ってもらったり研ぎ直しを頼んでいただけるお客様は確実に増えてきてます。

なので、今回四国経済産業局さんからお話をいただいた時も起死回生を狙って取り組んだ感じではなく、デザインを取り入れることに興味はあったし、払える範囲の費用で出来るならやってみます、という感じで始めました。

【事業開始・打ち合わせ】
デザイナーの平原さんとのやりとりの中で、今の自分の仕事において足りないところは、と考えた時に出てきたのは「若い女性に興味を持ってもらいにくい」ということでした。
男性は刃物に興味を持つ人が多く、また50代60代くらいの少し上の年代の女性なら、錆びるのが嫌でステンレスを使ってはいるがお母さんやおばあちゃんが昔使っていたので鋼の包丁の良さは知っているという人も多いです。

ただ使い捨ての時代しか知らない若い世代、特に女性はイベント先でもほとんど立ち止まってもらえない状況でした。

少しでも興味を持って立ち止まってもらえてお話しができれば、使い方やメンテナンスの仕方、鋼の刃物の良さなどをお伝えすることができるのだけれど、20代30代の女性はほとんど素通り。

そこをどうにか出来たらいいね、というのが課題として浮かんできました。

ここからの開発の経緯やコンセプトはデザイナーさんから説明いただきます。

〈デザイナーさんの説明パート〉

【出来上がり】
かわいい、素敵に完成しました。

【ここからは値段設定】
手間をかけて作ってもらった柄と段ボールのパッケージにはお金がかかって従来と違う柄の取り付けにも手間が余計にかかるので値段は高くなります。
倍ぐらいで売ろうと思ってましたが、2.5倍になりました。
同じサイズ同じ仕上げの従来の包丁が6000円。
デザイン入れて家具職人さんに作ってもらった柄に代わるだけで15000円。
良いと思えるものは出来たけれど、果たしてこれで売れるのか、選んでもらえるのか、という気持ちはありました。

でも、これが売れます。

【売上実績】
買いに来てくれた人や出店先で興味を持ってくれたひとには「中身同じですよ。材質も研ぎも同じ。」って言いながら売ってますが、このドットとストライプを選んでもらえる人もしっかりいます。
実際の売上の数としては販売開始から2年半でストライプが51丁・ドットが47丁。

工場併設の自社店舗と並べてもらっているアンテナショップ2軒(いの町と高知市)、あとはイベント出店先での販売がほとんどですので2年半で100丁は充分な手応えです。

さらに言えばこの100丁を買ってくれた方のほとんどはこれでなければうちの品を買ってない人達です。
切れ味や評判を聞いてきた人ではなく、このデザインに惹かれて、使いたくなったり、誰かにプレゼントしたくなった人ばかりだと思います。
そういう顧客を掘り起こしてくれたデザインです。

ここで注目すべきはうちの仕事は変わってないということです。
今まで通り、精一杯良い刃物を作る、切れる刃物を作ってるだけ。新しい形や機能を作り出した訳でも新素材に取り組んだ訳でもないってこと。

なのに、当初の目的であった「若い女性に立ち止まってもらえない」を克服し「あーかわいいー」って足を止めてもらえる確率は圧倒的に増えました。
それで一目ぼれで買ってもらえることもありますし、その場で売れなくても足が止まってお話しをする、うちのチラシを渡すことで「刃物=笹岡鋏製作所」という印象付けは出来ます。
包丁の研ぎ直しを頼みたくなった時、次に包丁を買い替えようと思った時に思い出してもらえる。これだけでこの事業に取り組んで良かったです。

【さらに良かったこと】
これは他の業種で同じことが起こるかはわかりませんが、鍛冶屋という時代遅れの昔ながらの職人の世界の人間がデザインを取り入れたことで、たくさんのメディアが取り上げてくれました。
四国経済産業局さんの事業というのも追い風になったと思います。
新聞・雑誌・テレビ・フリーペーパーに取材をしてもらい、地元いの町の公式観光パンフレットにも町の特産品として写真付きで紹介してもらってます。
全部無料であちこちで宣伝してもらえました。
地元のローカルなメディアですのでそれによってドカンと売れ出すわけではありませんが、先ほど言った印象付けの効果はあったでしょうし、もっと大きなのは今までのお客さんから「新聞でちょったね」「テレビみたよー」って人が結構いて従来のお客さんやお得意さんからの信頼度アップの効果もあったと思います。

こういう実際の売上以外の効果もありました。

【デザインに取り組んだ感想】
このようにデザインを取り入れた仕事をして良かったと思いますし、特に伝統工芸なんかはデザインとの相性はいいのではないかと思います。
もともと技術はあって品質の良いものが作られているのだから、そこにデザインが入って新しい層に向けて発信する、これ大事・有効。

【さらに!】
もう一点、今自分が一番良かったと思うことを付け加えます。
それは、平原さんというデザイナーさんと出会えたこと。
この包丁が出来上がったあと、再び一緒に「子供向け包丁の開発」に取り組み、同じシリーズで少し小さめのこの2種類が出来上がりました。こちらも約30丁売れてます。

アンテナショップなんかで4つ並ぶと2つの時とはまた見栄えも違ってきました。

その後、一昨年の秋に店舗改装の際に、看板のデザインをお願いして、そのあと名刺のデザインも包丁の箱に入れたいと考えていた取扱い説明書のデザインも作ってもらいました。

【ここから一番言いたかったこと】
何か新しいことをする時に、デザイン使えんかなあと考えるようになり、その度に平原さんに相談して依頼する。
気軽に相談出来るデザイナーさんがいる、そのデザイナーさんがうちの仕事の内容や仕事に対する姿勢をしっかり理解してくれている。
こんなに心強いことはありません。
それが積み重なっていくことで商品も看板も名刺も全部トータルで「笹岡×平原」のイメージが出来上がっていって、その先に笹岡鋏製作所のブランドが出来上がって行けばいいなあ、出来上がって行くんじゃないかなあ、と思ってます。

いいことばっかり言いましたが、ホントにいいことばっかりでした。
チャレンジして良かったです。。
最後にこの事業のきっかけを作ってくれた四国経済産業局さんにも本当に感謝しています。

以上です。
ありがとうございました 。

うん、どんどんやればいい。

「ここは立地がいいですね。」

ある業者さんが来てお話ししている時に、別のお客さんがふらっと来て
「ここは包丁あるー?」
あ、初めてのお客さん。
「ありますよー。」
「おー、じゃあこれちょうだい。」
「ありがとうございます。」

のやり取りを見て業者さんに言われた一言。
「ここは立地がいいですね。」

ちょっと引っかったので書いてます。
立地はいい。ある程度大きな道に面していて交通量も多いしお店の前には何台も車が置ける天然の駐車場もある。高知市内からも近い。

でも、お客さんに知ってもらって来てもらって買ってもらうまでたどり着くには立地だけじゃいかんやん。それ以外の努力や工夫が絶対必要で、だからそんなことばっかりやってきました。

それを見ずに今包丁が売れたのは「立地のおかげ」ってされたことにちょっとカチン。「もし工場がここになかったとしてもしっかり勝負してます。」って言いたくなりました。そんなこと言っても「恵まれちゅうき言えるがよ。」って思われて終わりやろうけど。

たしかに自分でも思います。「親父さん、45年前にここに工場建ててくれてありがとう。」
結局言われる人によって受け止める印象が違うがやろうなぁ、と思いました。同業者でも違う業種の人でもきちんと頑張ってる人に言われたら「そうやろ!俺も恵まれちゅうと思う!」で終わったはずや。

そんな小さなイライラを書きながら今年初めてのブログなので今年の目標書いときます。
①仕事量を減らす
②土曜日に同級生の前で発表した今の目標を実現する

②をやるために①を達成する必要がある。
やっぱり仕事帰りに本屋さんに寄って立ち読みする時間もないくらい働きよったらいかんがよ。ブログ書く時間も取れんほど洗面器に顔浸けっぱなしで働く感じ。したいこと出来んし、したいことが生まれて来んなる。隙間が必要。

そして②、また言っちゃいました。
高校の同級生との飲み会でみんなが目標や今したいことを話す流れの中で2、3年前からなんとなく考えていた目標を口に出す。カッコつける。
5人の前で言っちゃったのでまたやらざるを得んなりました。

ここで言うのはちょっと恥ずかしいので実現出来たら発表します。

でもねぇ、44歳同級生、みんないろいろ考えゆうがよね。個人事業主、公務員、会社員、お母さん、それぞれ違った立場や仕事を持っていて目標も仕事のこと自分のキャリアのことプライベートのこと、いろいろやけど。集まったみんながしっかり考えていてそこに向かってしっかり進んでいて、うれしくなりました。

負けないように進みたいと思います。

仕事頑張ってます。全然進まんけど。

この度、鍛冶屋志望の若者を研修生として受け入れました。前にちょこっとだけ書いたけどこの時東京からやって来た22歳。

うちに面接に来た時の写真です。

それから伝統工芸の後継者育成の補助金を申請したり土佐刃物の組合の理事会に計られたり役場の面接を通過したりして、無事10月から働いてもらってます。

2ヶ月と少し、真面目にやってくれてます。

「どう?あの子は鍛冶屋に向いちゅう?」っていろんな人に聞かれるけれど、適正なんてわかりません。

自分だってものづくりに興味があった訳じゃなし、自分を器用だと思ったこともない。それでも自分なりの方法で18年やって来ました。

どんな仕事でも大事なのは「やめない」じゃないかなぁ。
「続けること」「毎日工場に出てくること」
それが出来たら鍛冶屋にはなれる。
プロ野球選手じゃないがやき。センスや適正の必要な仕事じゃない。

その先、もっと良いものを作るためには、もっと効率良くスピードを上げるにはとか、もっと売れるようにするには、とかは考えるべきやしある程度センスも必要かもしれんけど。

まぁ、一人前になるかどうかは本人次第なのでどうにも出来ない。
その点、東京から何のつてもない友達の1人もいないいの町へ移住して1人でアパート暮らししてまで鍛冶屋になろうと飛び込んで来たのだからやる気はある。

受け入れるこちらとしてはそのやる気をしぼませないような努力や心配りをせんとね。こっちも2年間の研修期間の先は戦力として考えちゅうがやき。雇用を生もうと思って受け入れてます。

どっかで見たけれど
「あんなに熱意を持って◯◯やりたい!って来たのに辞める時はあっさりしたもんやった。最近の若者は…。」なんてつぶやきはしたくない。これ完全に受け入れる側の問題やと思ってしまいました。

そこまで熱い気持ちと夢を持って飛び込んで来た若者の気持ちを冷めさせたのは親方やったりその会社やったり業界やったりの責任が大きいはず。

もちろん下積みみたいな時間はあって思い描いたのと違うところもいっぱいあると思うけど。
未来への希望を消し去ってしまうのはきっと仕事そのものではなくて、受け入れる側の体質とか環境の整え方とか仕事のさせ方責任の与え方みたいなとこが大きいんじゃないかなぁ。
そこの資質を問われる。すごく感じます。

なんて、人を使ったことのない43歳がえらそうに言いました。

遠い昔、僕も言われた。
「向いてないと思ったらすぐ辞めろよ。」.
向き不向きを心配した親戚からの言葉やったがやけど、25歳まで自由に好き勝手生きてきてその挙句に親父の仕事に入るのに辞める訳ないじゃんか!って思いました。それだけのことで今に至る。

その中で自分なりのおもしろさを見つければいい。

数ヶ月後に「辞めて帰ってしまいました。」って書くかもしれませんが、その時は「今時の…」なんて言わずにしっかり自分を反省したいと思ってます。
そういう覚悟で受け入れてます。

東京から移住してきた鍛冶屋志望の22歳とそれを受け入れて一緒に働くことに決めたはさみ屋。

乞うご期待!です。

いの町の商業振興会というところに所属してます。
もともとは商店街の諸先輩方が商売の振興について考えて行動してきた会。ご多分に漏れずいの町の商店街も廃業や高齢化で会員さんの減少も免れず、もっと範囲を広げてはさみ屋にも声がかかり入会したのが2年前。1年経ったら理事になってました。

その理事会での議題。
「商店街の街灯が設置されて10年。全く掃除もしてなくて汚れてきてます。掃除してきれいにしてはどうかと。業者に頼めばお金がかかる。かといって自分達でやろうにも若い人も限られていて実際に動ける人は少ない。そこで商工会の青年部にお願いしてやってもらいたいなと。高所作業車を借りるとかの実費は商業振興会が負担して、実働は青年部にお願いしようという案です。どうでしょう?」

賛成しました。大賛成。
地元の商店街の街灯を商工会の青年部がきれいにする。とてもいい物語。
しかも11月23日の祝日は大国様の秋の大祭。それに合わせて大国様~商店街~紙の博物館までを使ってイベントを開催します。
『Kami祭』

はさみ屋は実行委員長やってます。

大国様の秋の大祭に備えて青年部が街灯の清掃。
もしかしたら新聞とか取材してくれて青年部の社会貢献活動がイベントの宣伝にも繋がるかも!
実行委員長の計算。是非23日までにやってほしい。

「出来れば実費だけでなく青年部の活動資金の足しになるくらいのものも出してほしい。完全ボランティアでは青年部もしんどいです。」

若いってだけでいいように使われるのはごめんですって場面はしっかり経験してきた青年部出身者としての意見も付け足して賛成しました。

無事可決。
青年部の方も受けてくれたようで良かった良かった。

と思ってたら青年部担当の商工会職員さんから電話がかかって
「商店街の街灯の清掃をするんですけど…」

うん、知っちゅうよ。

「なかなか人数集まらなくて、笹岡さんも出て来てくれませんか?」

あ、そういうことね。
うん、みんな忙しいもんね。
行かん訳にはいかんよね。

「はい。行くようにします。」

なかなか会議室で話だけしてふんぞりかえって
「金は出すき若いもんにやらしちょけ。」って立場にはなれんもんやね。そこに行けた気がしちょったのになぁ。惜しい。

11月23日(月・祝)
Kami祭
職人ストリートも開催します。

是非遊びに来てください。

「これ剃ったら涼太が負けるかも」って思って剃らずに伸ばし続けたヒゲを剃りました。もう一週間前かー。

11月3日(火)
ヒゲだけじゃなく、担げるもんは担いぢょこうと準々決勝の時と同じ服・同じBGMで会場の春野球技場へ。
会場では準決勝のもう1試合、「明徳vs.中央」が始まるところ。最初は観戦してたけれど「涼太に会わなくちゃ」と思ってアップする丸の内イレブンを探す。見つける。見つけたけれどフェンスの向こう。眺める。涼太のアップを見るのも最後かも、って思いながら眺める。

そのままベンチ裏で準備する涼太をスタンドから眺める。第一試合が終わって敗れた中央高校の健太(鴨田FCのチームメイト・つまり幼なじみ)がスパイクの紐を結ぶ涼太に声をかけてくれるのを見つける。素敵な光景。

その後スタンドから涼太を呼ぶ。裏へ呼び出して話す。
「ポジションは?」
「今日はボランチ。8人でしっかり守って前の2人でカウンター狙い。」
相手は強い。間違いない作戦。
「じゃあ、おまえから前線へのパスが大事な訳やね。」
「うん。」
「頑張れ!とにかくシュートのイメージ。ゴールのイメージ。勝つイメージ。これだけや。」
「OK。」

緊張感バリバリの雰囲気。でも涼太はそうでもない。リラックスムード。

試合開始。
ほんの15分、あっさり高い個人技でズドンと先制される。全然崩されてないのに1点取られる。
正直この時点では「何点やられるがやろ」って感じ。さすがに強い高知商業。

苦戦しながらも踏ん張る丸の内。
「0-1」で前半終了。
1点リードされてる分、前の試合ほど応援してて苦しくない。試合会場外に出てタバコを1本。
今まで小学校一年生から涼太だけを見てきた親としての前半の涼太の動き。
「いつもよりいい。動けゆう。キレキレや!」
前の試合準々決勝よりも格段に動きがいい。充分やれてます。本当にそう見えました。
スタンド下のトイレが競技場のベンチのすぐ裏であることに気づいてたのでトイレの窓から声をかけに行く。
「涼太!」
こっちを向いた涼太に
「いいぞ!続けろ!」
笑顔が返ってくる。

再びスタンドに上がって応援。

後半、高知商業選手交代。
エース・たくみ登場。
数分後、切り札・堀見も投入される。
2人とも 中学時代のFCコラソンのチームメイトです。同じチームだったけれど2人はトップチームで大活躍。涼太は卒団までBチーム。差がありました。こっちからしたら大きな大きな差がありました。
でも、今、同じ舞台に立ってます。涼太の運。涼太のセンス。それからもちろん涼太の努力。そんなの全部を活かし切って同じ舞台に立ちました。そりゃ感慨深いです。彼らの実力は恐いけど、2人が出てきてくれて相手にとって不足なし。

試合に戻ります。
じりじり続く「0-1」の時間。
「やっぱ強いなぁ、商業。」
って思いながらもなんか希望はチラつく試合展開。まだ何かあるって思わせてくれる丸の内の戦いぶり。そして残り10分をきった時に相手陣内で得たフリーキックの場面。

涼太がボールをセットに向かいます。動画を撮るべくiPhoneを構える親父。
手を上げて合図するキッカー。絶妙の弧を描くボール。
「よし!」
キャプテンの足にドンピシャ!ゴール!同点!叫びました。4回叫びました。

俊輔に魅せられ、ヤットさんに憧れたサッカー少年がフリーキックを蹴りたいと思うのは当然です。そこに憧れ続けたやつがプレースキッカーというその役割をチームの中でしっかり勝ち取って、この大舞台で強い強い相手に1点ビハインドの場面でフリーキックで同点を作り出す!
ドラマです。少なくとも見続けて来た親にとってはものすごいドラマです。

2015年11月3日14時26分
涼太がヤットさんになった瞬間です。
「背番号7」

試合に戻ります。
同点に追いついたこの時残り8分。やっぱり強い高知商業。
ロスタイムに入ろうかってところで1点取ってくる。どうしてそのこぼれ球がたくみの前に転がるかなぁ。

ロスタイムです。
落ち込む選手に監督の先生が叫びます。
「こっからやろうが!」

センターサークルに向かう涼太も手を叩きながら周りに声をかけてます。たくましくなったなぁ。そういう時に声出せる選手、好きです。

そこからまだドラマがあるなんて思ってませんでした。最後まで戦ってほしい。それだけでした。が、最後のチャンスを活かす丸の内。ロングスローから同点ゴールを決めたところでホイッスル。また叫んだ。
すごい試合です。本当にすごい試合を見てました。しかも「勝つでこの試合!」って本当に思ってました。

延長突入。
延長後半、また涼太がビッグチャンスを作り出しました。コーナーキックからのサインプレー。キッカーが選んだのは単純に上げるのではなく、フリーの味方にグラウンダーのパス。後で聞いたら「あれは時々やるプレー。ボール置くときにアイコンタクトがあったきね。」
ここからのシュートは惜しくも本当に惜しくもポストにはじかれる。でも頭を使ったナイスプレー。
あの場面でゴール前に放り込んで混戦からあわよくば、ではなくて確率が高く思える相手の裏をかくプレーを選べる冷静さ。おしゃれ。俊敏さとか身体の強さではないところで勝負してきた涼太の真骨頂。親バカですみませんが、ここにもヤットさん的スタイルを垣間見ました。

そして延長は両チーム無得点。
「2-2」で試合終了。
勝負はPK戦へ。

涼太は3人目で決めました。
が、試合には敗れる。強豪校の強い気持ちに押し切られ、PK 3-5で丸の内の長い戦いが終わりました。ナイスゲーム。

相手5人目のシュートが入って勝敗が決した瞬間、うなだれ膝から崩れて芝に突っ伏す仲間のゴールキーパーに真っ先に駆け寄って肩を叩いたのが涼太でした。
これを見た時に一番泣きました。さすがです。いい子だ。いい子に育った。


本当に全部見せてくれました。ハイライトのフリーキックだけじゃなく、リードされた場面で味方を鼓舞している涼太。最後の場面でGKを気遣う姿。試合後にライバルであって友達でもある相手チームの選手に呼ばれて一緒に写真を撮る姿。応援席に挨拶に行く胸を張った姿。

最高でした。

応援席とは反対のスタンドで1人で見ていた僕の方に帰って来た時に見せてくれた晴れやかな最高の笑顔。やりきったねぇ。

目があって最初の言葉。 最高の笑顔で

「だれたー!」

よくやった。カッコよかった。
こんな感じを味わえる親、なかなかおらんろ。

小学校1年生からサッカー少年。
高校3年生までサッカー少年。

肉離れもありました。骨折も捻挫もありました。

6歳でサッカーを選び素敵なコーチと素敵な仲間に出会って楽しくって泣いて喜んでボールを蹴って、少6でこんな選択。
2009年12月12日
FCコラソンへ。

3年後はまた次の選択
2012年11月19日
丸の内高校サッカー部へ。

そんな選択と努力の積み重ねがこの日の大きな舞台にこの日のFKに繋がってるわけで。

今涼太の周りにいるライバル達と違って、足が速いわけでもなく身体能力が高くもなく、スピードとスタミナに欠けて1対1ではやられてしまう、小・中・高全ての年代で出会ったコーチのみなさんから「課題はスピードとスタミナ」と言われ続けた。走るのが苦手。キライな訳じゃなくて苦手。
「中学入って走る練習してスピードがついたら」「高校入って無茶苦茶走らされてスタミナがつけばいい選手になるはず」思い続けてきたけれどそこは高3の今でも埋まったとは言えません。
そんな選手がパスの技術とキックの精度と視野の広さと戦術眼とかアイデアとかいわゆるサッカー理解力で勝負してこの舞台に立つ。想像してませんよ。
走れないと話にならない現代サッカーでは少し時代遅れ感もあるファンタジスタ的なプレースタイル。それでもここまで来た。最高にカッコよし。

そして最後の2試合、フル出場で走り切ってドリブルで勝負する姿もヘディングで競る姿も相手のキーマンをマンマークで抑える姿も身体を張ってイエローカードをもらう姿も見せてくれました。

そして最後の大舞台の翌朝の新聞でこんな風に褒めてもらえる。

「中盤の笹岡らが100分休むことなく上下運動を繰り返した。」

1番苦手なとこを最後の最後に褒めてもらえた。すごいなぁ。あー、褒めてばっかり。

涼太の18年、サッカー始めての12年。全て自分で選び取り、素敵な仲間と出会い素敵な指導者に巡り合う才能。たぶんこれが彼の一番の才能だと思います。

だから心配なし。これから先も心配なし。

充実感と達成感と満足感。
それから負けて2日後くらいからじわじわ起き上がってくる悔しさ。「あー、もう一試合見たかったなー。PK負けかー。決勝やったのになー。」

人間欲張りです。

自慢の息子の高校サッカー選手権。高知県でベスト4。準決勝敗退。
これから先、これ以上おもしろくて興奮するサッカーの試合を見ることはありません。ワールドカップだろうがチャンピオズリーグだろうが。人生最高のゲームをしっかり見ました。

本当やりきったね。出しきったね。
お疲れさま。カッコよかったで。

あ、まだまだ負けられません。
僕も頑張ります。

涼太のサッカー話が続きます。

今日は準々決勝。会場は日高。
小6の時に全日で全て出し切った会場や」なんて感傷に浸りつつ、ミスチルの『fanfare』をリピートで聞いてテンション上げながら会場へ向かう。
「吹き荒れるよ 今日も見通しの悪い海原で みんな悪戦苦闘してるんだ ひとりじゃないぞ 頑張れー!」

相手はシード校。最後の時も覚悟の観戦。
「サッカーの神様、涼太に、涼太のチームにミラクルをください。」
サッカーしてないのにサッカーの神様に頼ってみたり。

試合開始。シード校相手に頑張る丸の内。フリーキックを蹴る涼太。押される、攻められる時間長い。
それでも前半「0-0」で粘る。

ハーフタイム。

ひと息ついて自分の胸が苦しいのに気づく。応援していて息がつまる。

後半開始。
フリーキックを得る。少し距離があったので涼太は蹴らず。ハーフライン辺りからのフリーキックに涼太がペナルティエリアでマークを外そうと動くのが見えた次の瞬間

「あ!飛んだ!」

ヘッドに競り勝ち、ボールがゴール方向へ力なく転がる。コロコロゴールに向かうボールに「うわー、うわー」って思ってるところに味方が詰めて先制点!

「しゃーっ!」って叫んでガッツポーズしてました。
超レアな涼太のヘディングでのアシスト。

これが後半開始5分。
ご想像通りそこからの35分が長い長い。
何度も言うけど相手はシード校です。シュートもクロスもコーナーキックもフリーキックもどんどん飛んでくる。
キーパー頑張る。DF頑張る。涼太も走る。クリアする。
「逃げ切れるかも」ってよぎった頃に相手にPKが与えられました。

監督の先生の声が響きます。
「たく(キーパーの子ね)を信じろ!こぼれ逃すな!」

また頭の中ぐるぐるです。
「あー!でも決められても同点や!けど追いつかれたらキツいにゃあ…。」

祈りました。何を祈ったのかわからないけれど祈りました。

シュートはポストに当たり最大のピンチを防ぐ!
それからもピンチの連続。長い長い「1-0」の時間。
翔悟は負傷交代。コーナーキックのピンチにベンチから仲間に声かける翔悟。
「ここ集中!やらすなよ!」

陸人も両足つって交代。後輩に背負われてベンチに帰って来た陸人が芝生に寝転んでつぶやく。
「あー、最後までやりたかったなぁ。」

みんなの思いがいっぱい見えます。泣きました。

長い長い4分のロスタイムも凌いで「1-0」勝利!

すごい。
すごい試合見ました。見せてくれました。

県体では跳ね返された壁を破ってベスト4。
そして県体でやられた高知商業との準決勝までたどり着きました。

涼太もアシストだけじゃなくいっぱい勝負したしいっぱい守ったし最後までいっぱい走った。今日は最後までフル出場。気持ち見せてくれました。
7番、めちゃくちゃカッコよかったです。

あー、疲れた。
緊張と歓喜と安堵。

次は11月3日。
「覚悟なき者は去れ あてどない流浪の旅 Nobody knows 航海の末路」

本当に楽しませてくれます、うちの息子。
また仕事サボって応援です!

刃物まつり、よく売れました。おそらく過去最高の売上。買っていただいた方、出会ってくれた方、ありがとうございました。使ってもらえてるかなぁ。

一昨日の日曜日は朝からソフトボールを2試合やってから、急いで涼太くんの試合を観に行きました。冬の高校サッカー選手権・県予選。

高校3年生にとっては負けたら引退の最後の大会です。見逃す訳にはいきません。

野市の河川敷の会場に着くとものすごい強風。バニーアイズのユニフォームのまま、すごい場違い感を感じながら涼太のアップを眺め、あがってくる時に声をかけました。

「風…。」
「うん、すごいねぇ。」
「味方につけろよー。」
「OK!」

試合開始。前半は風下。本当にすごい強風。風と相手の勢いであっさり先制を許す。反撃しようにもゴールキックが風に戻される、クリアしたボールがふわふわ返ってくる。頑張ってる間に2点目も奪われました。(相手の2点とも涼太のコラソン時代のチームメイトに決められる。昨日の仲間が今日のライバル。今でも仲良し。)

本来攻撃の形を作り出す涼太(ポジションはトップ下)にボールが入りません。 ほとんど相手側にボールを運ぶことすら出来ず、自陣での長い長い守りの時間。
見てるこっちも「前半はよ終われー。後半風上になってからじゃないとなんともならんー。」って気持ち。

なんとか0-2で踏ん張りハーフタイム。
「2点か。厳しいなぁ。」って思いながらも希望を持って後半開始。

が、しかし!
ピッチに涼太がいませんでした。前半のみで交代!

ベンチ脇でスパイクを脱いで頭を抱えたり芝生に憤りをぶつけたりする涼太が見えます。6歳から続けて来たサッカーがあと40分で終わるかも、って時にピッチに立てない悔しさ。よく分かる。あとで聞いたら泣いてたらしい。悔し泣き。怒り泣き。

見てるこっちもそうですよ。
「先生、2点取らんといかんのに涼太引っ込めていいんですか…。一回戦は3つアシスト決めた選手ですよ…。風上に立ってさぁこれからって時に攻撃の形を作り出せるスペシャルなパサーを下げてどうやって点を取るんですか…。」
監督批判ごめんなさい。僕は涼太ファンです。

こうなってしまった状況を理解してから試合を眺めながらも頭をぐるぐる駆け回る想い。
「まじかー。涼太の高校サッカー、ってかサッカー人生がこんな強風のせいで、しかもベンチに下がってその瞬間を迎えるのかー。残酷過ぎるー。そんなドラマありながー。将来大人になってこれも思い出として笑って振り返れるがやろかー。辛いー。終わってなんて声かけたらえいがよー。」

と同時に、ベンチ横でふてくされて駄々をこねる涼太を見て
「今、そんな態度じゃだめやろう。今こそ味方のために声出して、ベンチからできることをやり切らんと。」とも思う。

そんな中、味方のFW陸人(鴨田FCからのチームメイト)がPK獲得。シュートも決める。「1-2」
これでだいぶ頭が切り替わり、逆転すれば涼太にも次のチャンスが生まれるってことが頭に浮かんでくる。もう応援です。祈りです。
ベンチの涼太も少し気をとりなおして芝生に正座して味方の逆転を祈ってる様子。
でも、コーナーキックやフリーキックのチャンスの場面になる度に、もんどりうつ涼太。「俺ならもっといいボール蹴るのに!」って心の声が聞こえて来ます。
僕も同じです。
「あー、涼太がおったら…。先生、やっぱり点取るにはプレースキッカー置いちょかんといかんかったがやないがですか…。」
涼太ファンですから。涼太ファンも心で叫ぶ。
それでも味方の頑張りで追いつく。「2-2」!涼太も芝生に正座で拍手。

さらに、陸人が点を取る。取ってくれた!涼太も正座でガッツポーズ。
「3-2」逆転!試合終了!生き延びた!

試合後、陸人に声をかけます。
「ナイス、陸人!ありがとう!」
そしたらこんな粋な答えが返って来ます。

「涼太泣きよったきね。頑張った。」

うれしいねぇ。小学校時代から知るサッカー少年のたくましい姿。成長。

自分で勝手に紆余曲折を感じながらも、ベスト8進出です。

心の中でいっぱい文句言ったけど、「0-2」から涼太を外してきっちり逆転したのだから先生の采配ズバリです。
本当にこんなに風の影響ってあるがやね。実感する試合でした。怖い怖い。

涼太を送る帰り道の車の中
「終わったと思ったね。」
「うん、俺のサッカー人生これで終わりかって思った。ハーフタイムの間ずっと『まだやれます!』って先生に言いに行こうか考えよったし。」
「けどあれで逆転したってことは先生の采配ズバリってことやきね。」
「やねぇ。」
「あと一週間、しっかり練習で気持ち出しちょき。先生に『あ、涼太目の色が違う。この前の交代が効いたかにゃあ。』って思わせんと。じゃないとまた替えられるぞ。いつもより走る。いつもより声を出す。今日先制された時とかも周りにいい声かけは出来ゆうき、そういうのをもっともっと出せばいい。『やっぱ涼太はピッチに置いちょかんと』って思わさんと。」
「うん。」
「これからはいつ終わってもおかしくない試合になる。最後ピッチにおりたいろ?」
「うん、頑張る。」

頑張れ。
もうサッカー少年にこういうアドバイスをする機会もなくなるがやね。
最後やきもう一回LINEしちょこう。

ベスト4をかけた試合は土曜日です。
また仕事サボって観に行きます!

2025年9月
« 7月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  
最近の記事 最新コメント