鍛冶屋日記

月別: 2020年4月

気分が大変な感じですが、打ち破るべくさっそくオンライン会議を経験しました。1週間で3回。

初めてのzoom会議を主催してみた。やりたがり。成功。簡単。

これに気を良くして2回目を主催したらみんな入って来れなくて失敗。ごめんなさい。たぶん僕のせい。zoomを断念して急遽Lineにて会議。

3回目は呼ばれる側として参加。職人イドバタミーティング。みんなの近況報告。

3回ともビール片手でした。

テレワークが可能な仕事やったらダメ人間になっていたと思われます。

 

 

新しいことに飛びついたり、テイクアウトでピザや鯖の棒寿司を食べたり。

前回書いたけど仕事には今のところあまり影響は見えてません。それでもこの感じ、絶対今まで通りには行かないと思うので、未来を考えてみるために昨年の確定申告のデータを分析してみました。

 

売上の内訳。全体の売上を100として

問屋さんや小売店さんへの卸分が35%。

微かに間が入ってくるアンテナショップや道の駅での委託販売が5%。

はさみ屋からお客さまへの直売が60%。大きくなったなぁ。

(20年前はほぼ100%が卸の仕事でした。)

 

はさみ屋からお客さま直の売上をさらに小分けにすると、

・工場併設店舗での販売 35%

・同じくお店で受ける研ぎ直し 20%

・イベント出店 10%

・ネット通販 35%

 

それぞれがしっかり柱になってます。

お店での販売も伸びてますが、何よりネット通販の伸びに助けられてます。16年前から続けてきて良かったです。これなかったらちょっと怖い。

 

今、世界を見渡すとアンテナショップや道の駅での委託販売はたぶん減るよね。イベント出店もいつ再開されるのか。卸の仕事にもたぶん影響は出るはず。

 

「その分作れるやん。間に合ってない分作れよ。」の声は聞こえてきますが、やっぱり穴を埋めることも考えていきたいと思います。最近新しいことやってないもんなー。やらんとなー。

 

 

今のところ減ってないお店での販売と研ぎ直し需要。地域密着のありがたさと強さは実感中です。

それと同じ気持ちでネットを通じてのお客さまにも向き合ってます。「D2C」

 

この状況で若い鍛冶屋さんから「ネット通販やってみようかと思うんですけど、話聞かせてください。」って複数から連絡もらってうれしくなりました。

やって来たこと感じて来たことは全部伝えます。

動くきっかけになりますように。

 

 

パイを奪い合うのではなくパイを広げて行けばいい。

がんばろねー。

 

 

with コロナ。大変な状況。大変な世界。

普通に生活していてそんなに影響はありません。満員電車での通勤もないし、会社でたくさんの人に会うわけでもなく。

出店予定のイベントが2つ飛んだのと、ソフトボールのリーグ戦がとりあえず3ヶ月中止決定したくらい。

休みの日には桜を見に行ったり海でのんびりしたり。昨夜はビール片手に徒歩で夜桜見に行ってスーパームーンの下でお弁当。

山ほどあった会は減ることでしょう。ZOOMに挑戦してみたいです。

 

そんなことよりも時代が進みます。

前々回の記事「伝統工芸の職人さんへ」の中に書いたオリンピック後の世界。

刃物業界からインバウンドが消え去り海外需要もストップです。激変。

 

はさみ屋はそこに片足を突っ込むことなく、指先で触れていたくらいなのであんまり影響はないと思います。

20年前からの「景気悪いねぇ」って時代から景気に左右されないように、違う、景気に左右されたからこそ、それに負けないような戦略やお客さま獲得の道を親父さんと二人で目指してやってきました。

 

イベント出店に頼って売上を上げていた訳でもなく(イベント出てもそんなに売れんし)、海外やインバウンド向けの品ばかりを作っていた訳でもなく(そんなに大量に作れんし)。

 

地域のお客さまの研ぎ直しのご依頼にお応えしながら、ホームページからのご注文にひとつずつ対応。

この先数ヶ月して国内需要も冷えたりして、問屋さんや刃物業者さんからの注文は減るかもしれません。

それでもやって行ける道を目指して来たし、そこに隙間が出来たらまた新しいこと出来そうです。

景気後退したら研ぎ直しの需要は増えるんじゃないかなぁ。その上で買ってもらえるとこまでどうやって持っていくか。楽しみ。

 

感染は怖いけど、仕事の上ではあまり怖れてません。

 

もうすでに影響が出てる仲間もいます。

鍛冶屋の生き延び方は伝えることが出来ます。ネット通販についても15年やってきました。これは違う業種でも通じるものはあるはず。

誰か聞きに来てくれんかなぁ。

「ネット通販するの大変じゃないですか?」

「facebookとブログってどう使い分けてます?」

「注文減ったけどどうしよう。」

 

こういうの大好物です。教えたがり伝えたがりです。平時なら完全なるおせっかい。

 

やってきてうまく行ったこと、やっても効果がなかったこと、この先やりたいこと。全部伝えます。

 

乗り切りましょうねー。

より良くしていきましょうねー。

 

ピンチはチャンス。

使い古された言葉やけど絶対そうでね。

 

 

またひとり人事異動とやらで送り出しました。

春です。

 

ずっと一緒やったなぁ。

25歳で鍛冶屋になって、30歳の時に見つけてくれていの町商工会の青年部に誘いに来てくれた人。2002年のこと。

青年部っておもしろくないなぁと思ってあまり関わることなく過ぎた数年間。

そんな風に過ごしていたのになぜか青年部副部長に任命された2008年。

副部長であるが故に町民祭実行委員長になって警察の方々とタタカッタ2010年。

これが初めての実行委員長か。

まちかど市協議会の会長に就任したと同時に「商店街でイベント起こしましょう!」って始まった仁淀川七色ロードが2011年。

全国展開プロジェクトの職人部会のリーダーになったのが2013年。

職人部会のリーダーでありながら仁淀川部会に呼ばれたり紙部会に加入を申し出て入れてもらったり。

その全国展開プロジェクトの発展形として発足したいの逓信局の局長になったのが2015年。それから毎年開催のKamiフェスティバルの実行委員長を兼務。もう5回も開催したがや。

また別の流れの中から生まれた中心市街地再構築検討委員会が2016年から始まって終わるまで2年半くらい。これもタタカッタなぁ。

2019年は町内の若い事業者さんをいの町の広報で紹介したいプロジェクト。みんなで意見を出し合ったワーキンググループの代表として役場とタタカッタ。ていうか課長とタタカッタ。まだ勝ててない。継続中。

 

続いてる動き、終わってしまった活動、発展して進化してるチーム、一緒に動いてくれていたけどいなくなってしまった人、ずっと一緒に遊べてる人、動いてる中で新しく出会ったたくさんの素敵な人々。

 

あ、THE  WINDS  忘れちょった!七色餅!

 

歴史です。もう僕の半生です。ずっとおったよねぇ。ずっと一番近くでおってくれたよねぇ。泣いて相談したこともありました。

 

同志とはこのこと。これが盟友じゃなかったら盟友はいらない。

 

これまで一緒にやってきたこと、やめません。

こっちはなんとかなると思います。昨日集まった20人がいますから。それを見つけて繋いで作りあげてきたのはあなたです。

こっちは20人とか50人とか今まで通り仲間がおるけど、ひとりここから離れてしまうのはさびしいろうなぁ。直で関われんのははがいでねぇ。

 

ま、また帰ってくるか。

また一緒に何かやるよね。

それまでしっかり成長しちょかんとね。

 

うん、餅も作るし、朝倉会もあるし!

 

本当に長い間ありがとうございました!

これからもよろしく!

 

 

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